北アルプス


   「まったく、お前は冷たい子だね」と、母が言った。
   流れる白い線を見ながら、テレビドラマのようだと思った。



   今日は朝からついてない。
   寝坊して、階段を下りるときにコケて膝をすりむき、朝食ではコンソメスープで舌を焼けど。
   朝練のフリースローでも、見事なまでにシュート確率が低かった。

   やっと午前の授業も終わり、陽子と机を向い合わせにしながらの給食時間。
   クリームシチューをスプーンで口に押し込みながら、雪の残る北アルプスを眺めていた。
   「ちょっと、聞いてんのお? しっかりしてよ」
   陽子が口先を尖らせて、ぶうたれている。

   ウチの給食センターは、校舎の目と鼻の先にある。
   学校に隣接した自宅で育ったわたしは、センターのおばちゃんたちとも顔見知りで、
   道行きに挨拶をすることも多い。おばちゃんたちが作る大抵のメニューは美味い。
   だけど、このシチューだけは受け付けない。ドロっとした舌触りが後に残ってダメ。

   「なんで休みにまで、あいつらと顔をあわせなきゃなんないのよ。でしょ?」
   陽子がスプーンを薄緑のプラスチックの皿に突き立てている。
   「あいつらっていうか、後藤くん、でしょ」
   一瞬、陽子の顔が赤くなった。
   「会場が一緒なんだもん。会わないほうが変じゃん」
   「そうだけど。あいつの平和そうな顔を見てると、イライラするんだもん」
   シチューが端に付いたままのスプーンで、陽子がプリンを崩した。


   わたしたちは小学校のミニバスからの友達で、
   今では我が北安曇中学女子バスケ部のキャプテンと副キャプテンだ。
   ちなみにキャプテンはわたし。後藤くんは、男子バスケ部のセンターだ。
   陽子の気持ちは誰が見てもバレバレなのだが、本人はそれに気付いていないようなので、
   わたしも知らぬふりをして、彼女の様子を楽しんでいる。
   別に好きな人などいないわたしには、羨ましくもあるし。

   地区予選は2週間後。学校から車で30分ほどの松本市で行われる。
   それに向けて、わたしたちは毎日、中学最後のバスケ生活に励んでいるのだ。
   県大会3位という先輩達の成績だけは、なんとしても抜かなければならず、
   午後の練習を思うと、給食を残しては体力が保たない。
   だから、こうしてドロっとした液体を押し込んでいるわけ。
   陽子がまだ何かまくし立てている。シチューと陽子のダブル攻めか。
   ホント、今日はついてない。

   悪いけれど、わたしは再び視線を窓の外に移した。山が近い。
   「明日は雨か」
   「は?」陽子がわたしのつぶやきに反応する。
   「いや、燕岳が近くに見えるからさ。明日は雨だな、と思って」
   「何、それ、どう繋がってんの?」
   プリンのソースを口元につけたまま、陽子が首をかしげている。わたしはラストのパン切を飲み込んだ。
   「山が近くに見えると、次の日は雨が降るんだって」
   「そうなの? 誰に聞いたの、その情報」
   食器を片付けようと、ふたりして立ち上る。
   「あ、おばあちゃんか」
   「うん、そう」
   「那実のおばあちゃん、知恵袋だもんね」


   今日の給食は、いつもより時間をロスしたはずだけれど、
   それでも教室でわたしたちより先に片づけを終えているのは、男子2人だけだった。
   給食後は、体育館で陽子と練習するのが常。
   わたしたちは、群青色の空を突き破るように、どっしりと立っている
   北アルプス白馬連峰を背に、体育館まで走り出した。
   遅咲きの桜も全部散って、新緑の芽が呼吸を始めるこの季節が一番好きだ。
   「おばあちゃん、もう長いよね」
   「あー、1年ちょっとかな」
   松本市の大学病院で、リンパ種の癌治療を続ける祖母の、凛とした姿を思い浮かべながら、
   いつものように一礼をして、わたしたちはコートに入った。


   1対1でドリブルシュートの練習をしていると、担任で顧問の鬼森こと二森が扉から顔を出した。
   「川原、ちょっと」
   どこにいようと大声で話しかけてくる鬼森が、わざわざ呼ぶなんてなんだろうと思いながら、
   陽子にボールをバウンドパスして、コートを出る。
   「おばあさんが危篤だそうだ。すぐに帰りなさい」
   鬼森の言葉を耳にしたわたしは、本当にこうやって学校に知らせが来たりするんだな、と
   不謹慎でとんまなことを考えていた。


   自宅に戻ると、といっても教室からものの5分だけれど、東隣に住む沙紀ネエが玄関前で待っていた。
   東京の大学を卒業後、どこかの人材派遣会社の営業で2年働いてから、
   「物価の高さと人の多さに嫌気がさした」といって、沙紀ネエは帰ってきた。
   就職したと聞いたとき、電話で「沙紀ネエ、人貸し屋さんで働くんだ」と言ったら、大変な剣幕で叱られた。
   4月からのここ2ヶ月弱は田舎を満喫するのだといって、働きに出ていない。
   「いわゆるニートってヤツだね」と、また失言すると、
   「違う! 今だって、失業保険から家賃も渡してるんだから!」と、これまた本気モードで怒られた。


   祖母の入院以降、わたしは再び鍵っ子になった。ちょうど一昨年前、
   喉に違和感を覚えた祖母は、かかりつけの病院で癌と診断された。
   総合病院で半年の入院を終えて、4ヶ月ほど家に戻ったが、今度は脇の下のしこりを訴えた。
   癌は転移していた。松本市の大学病院に入院してからは、祖母の世話と市にある
   デザイン事務所の仕事とを、母はこなしている。毎日愚痴ばかりなのも、仕方がない。
   スナフキンの小さな人形付きの鍵を、カバンの前ポケットから取り出すと、
   古くなった玄関の鍵をコツで開けた。
   「かおりさんから電話があってね。お父さんが帰ってくるのを待ってなさいって。
   それから車で病院に来るようにって」
   母は、倍以上も年の違う沙紀ネエに、友達気取りで自分のことを「かおりさん」と呼ばせている。
   わたしからしてみれば、全くもって意味不明。その通りに呼ぶ沙紀ネエもどうかと思う。

   「優一さんは、向かってるのかな」
   兄の優一は、今、東京にいる。わたしとはひとまわり違いで、ケンカ相手にもならないためか、
   幼い頃から可愛がられた。まあ、大学進学以降、兄さんはずっと東京で暮らしているわけで、
   幼い頃から可愛がられた、というよりは、幼い頃に可愛がられたというほうが正しい。
   成績も愛想もいい兄とは、事あるごとに、特に母から比べられてきたが、
   それでも兄を恨んだことがないのは、かつての楽しい記憶が染み込んでいるからだろう。
   「さあ、どうだろね」
   他人ごとのようにわたしは応え、カバンを置きに二階へと上がった。


   小学3年で、ひとり部屋をもらったわたしは、恵まれているのだと思う。
   兄さんの部屋と並んだわたしの部屋は、東西の西側にあり、北西の山々が見渡せる。
   南を占める校舎の風景よりも、西にある窓からの眺めのほうが、断然いい。
   兄さんの部屋はフローリングで、わたしの部屋は畳。兄さんはすでに東京に行っていたため、
   フローリングの部屋にすることもできたが、北アルプスの景色が見たくて、こっちを選んだ。
   部屋を出る間際、机の上の小さな琥珀のキーホルダーが目に留まった。
   去年、学校で行った長野市見学で祖母に買ってきたおみやげだ。
   見学場所とはまるで関係ない代物だけれど。何度か病院に持って行こうとして、
   そのたびに忘れていたのだ。いまだ祖母と対面せずにいる、
   琥珀の中のバッタらしき物体の目が、わたしを詰っている気がして、視線を逸らした。


   リビングは、祖母の診断が下る直前に、今風に改装された。最初の入院からの退院後、
   新しいリビングでも、祖母は背筋をまっすぐにしてソファに座っていた。
   真新しいフローリングのリビングと、祖父の写真が飾られた仏壇は不釣合いで、
   それを見つめる祖母も、その姿勢とは裏腹に、なんだか居心地が悪そうに思えた。
   「正座は足腰に悪いもの、改装はおかあさんのためでもあるんですよ」と、母は言っていた。

   沙紀ネエが、右手で左手の二の腕をつかみながら座っている。沙紀ネエの癖だ。
   「あ、那実、大丈夫? おじさんが帰ってくるまで、いるからね」
   「ありがと」
   時計を見上げると、ちょうど1時を指していた。
   「そういえば、柱時計が鳴らないね」


   玄関から入ってすぐ右は、祖母の部屋だ。
   足を踏み入れると、いつも別世界に来てしまったように感じる。
   わたしの部屋とは明らかに違う畳の匂い、古い桐箪笥、掘りごたつに質素な鏡台。
   物心の付く前から、そこで何時間も過ごしてきた。
   奥の柱に掛かっている50センチほどのボンボン時計の音色は、幼いわたしの空想癖を刺激した。
   小学生になってからは、1日1回のネジ巻きを、週に2・3度はわたしもやらせてもらった。
   洋室のピアノの椅子を持ってきては、そこに登り、重みを感じるネジを、祖母が良いというまで回す。
   かつて「大きなのっぽの古時計」を聴き、夜、恐くて恐くて寝られなかった。
   今、祖母の柱時計は止まっている。祖母がいなくなったことで止まってしまったのではなく、
   ただ、1日1回のネジ巻きを果たされていないから。
   沙紀ネエの言葉に、そんなことを思いながら、隣に腰を下ろした。

   「那実のとこのおばあちゃんってさぁ、わたしが中学の時、ちょっとした有名人だったのよ」
   「え、有名人?」
   「いや、ウチの学校ってさぁ、今はどうだかわかんないけど、誰でも中を突っ切れるじゃない。
   ここから町中に出るには、敷地内を通ったほうが近いでしょ。でさ、わたしが通ってた頃って、
   理科室がプレハブだったわけ。その横を、那実のおばあちゃんが、よく通るのよ。
   背筋をピーンと伸ばして、気難しそうな顔して。いかにも恐そうなオーラを出しながらさ。
   意地悪婆さんって呼ばれてたなぁ」
   「おばあちゃん、いじわるじゃないよ」
   「やだ、分かってるわよ。わたしも小さい頃から随分とお世話になってきたし。
   厳しい人だけど、決して意地悪じゃないよね。でも笑顔とか見たことないじゃん。
   ほら、中学生が付けたあだ名だから。仕方ないっしょ」
   人のおばあちゃんを意地悪婆さん呼ばわりしておいて、何が仕方ないのか。
   「沙紀ネエも、そう呼んでたの?」
   答えをはぐらかした沙紀ネエを、わたしはにらみつけた。
   「い、いや、だけど、那実のおばあちゃんは、ホント苦労人だよねぇ」

   20代の後半で祖父を病気で失ったとき、父は4歳、叔父は1歳。
   その後、再婚することもなく、祖母は父と叔父を、たったひとりで育ててきた。
   大学を出た叔父は、卒業後、神戸で不動産会社に就職し、やがて独立した。
   小学2年までは正月になると、叔父が顔を見せていた。わたしは神戸のおじさんと呼んでいて、
   おじさんイコールお年玉をくれる人とのイメージだった。
   3年の時の正月、おじさんは来なかった。誰もその話題に触れることはなかったが、
   叔父は消息を絶っていたのだ。一千万円もの借金を、保証人である祖母に残して。
   最近になって、ようやくわたしはその事実を知った。

   「かおりさんとおばあちゃんって、ソリが合わないみたいだったよね。って、ゴメン」
   口に出してから、気付いたというように、沙紀ネエが手を合わせた。
   「いいよ、別に。見てれば分かるもん」
   「でもさ、かおりさん、おばあちゃんが入院して以降、仕事も続けながら、
   よく看病もしてるよね。ほとんど毎日、寄ってるんでしょ」
   「うん」
   確かに。実の息子である父も、そしてわたしも、祖母の見舞いに行くのは週末くらいで、
   後は母に任せきりだった。
   「那実は、おばあちゃん派なんだっけ?」
   「なにそれ。別に派閥とか、ないし」
   そんなこと、考えてみたこともない。



   会社から父が帰ってきたのは、4時過ぎで、結局、早退の意味はなかったけれど、
   とにかく車で市へと向かった。強いあかね色に照らし出され、
   くっきりと浮かび上がった山々を横目に、祖母との思い出を頭に浮かべていた。

   そのときのわたしは、幼稚園の年長さん。ひらがなでさえ、まだきちんと書くことはできなかった。
   祖母の誕生日と敬老の日が重なる9月。祖母に喜んでもらおうと、画用紙を前にクレヨンを握る。
   「おばあちゃん、いつも ありがとう」
   中央に書いた文字は、たったこれだけ。その下に、黄色、ピンク、青のチューリップを描いた。
   完成した画用紙を手に、わたしは祖母の部屋へと向かい、
   満足そうにニコニコしながら、祖母にそれを手渡した。
   画用紙をじっと見つめた祖母は、表情を変えずに言った。

   「那実、よく見てごらん。どこかおかしくないかい?」
   祖母の手の中にある画用紙に視線を落としたわたしは、しばらくして、あることに気付いた。
   そこに書かれた文字は、おばあちゃんのおの字の、右の点が欠けていたのだ。

   「あっ」
   やっと気付いたわたしの様子を見届け、「直してきなさい」と祖母は言った。
   そして、わたしは画用紙のプレゼントを、新たに書き直したのだ。半べそをかきながら。
   歯を食いしばり、涙を見せないようにして、再び祖母の前にそれを持っていくと、
   ありがとう。よく書けたね」と、優しい言葉が返ってくはずとの期待に反し、ひとこと、
   「今度は持ってくる前に、きちんと自分で確認しなさい」と言われた。

   今でもわたしの脳に、強烈に刻み込まれている出来事だ。
   そんな祖母の部屋に、わたしは毎日入り浸り、小学校へ上がってからも、
   友達と約束のない限りは、常にそこで過ごしていた。別に本を読んでもらったとか、
   何かをしてもらったわけではない。静かに過ごす祖母の隣で、勝手にひとり遊びをしていた。
   共稼ぎの両親とは夕食を一緒にとれないこともたびたびで、そんな時は祖母とふたり、食卓を囲んだ。
   お風呂に入れてくれたのも祖母で、ゴシゴシと背中を洗う手ぬぐいはとても痛かったけれど、
   湯船で一から百まで数える時間は、変えがたいひと時だった。


   大学病院に到着し、母の付き添う病室へと向かった。
   放射線治療やその他わたしにはわからない諸々の治療を受けた祖母の、
   もともと痩せていた身体のいたるところに残る、細い血管を酷使し続けた点滴の紫痕。
   すべての栄養を搾り取られたように、髪は抜け落ち、骨と皮だけになった祖母。
   それでもなお取り付けられた、点滴。今日の祖母も、そんな最近の祖母と同じに見えた。
   10日ぶりに訪れたわたしの目に違って見えたのは、ベッドサイドにある、
   心拍を刻む器械の存在くらいだった。

   「優一が来てくれればねえ。おばあちゃん、喜んだのに。おばあちゃんは、
   優一のことを一番可愛がっていたから」
   思ったことは口に出さずにいられないらしい母が、当然のことのように、毒を吐いた。
   母の言葉はしばしばわたしを攻撃するが、本人にはそんな意図などないらしく、
   わたしも気にしないようにしている。
   淡いピンク色の制服を着た看護士さんが、個室を出たり入ったりする。
   わたしは、何を思うわけでもなく、目の前の事象を眺めるだけ。
   そして時間だけが過ぎていき、気付くと夜になっていた。いつの間にか降りはじめたらしい雨が、
   静かに窓を叩く音が聞こえる。
   部屋にいるのはベッドの祖母と、その横に腰掛ける父と母、看護士さん、そしてわたし。
   夜が深くなっていくにつれて、看護士さんの様子があわただしくなってきた。
   やがて胸部マッサージがはじまった。
   弱弱しい音を出す器械の波を前に、看護士さんが真剣な顔で、マッサージを続けている。

   「優一はまだこないのかしら」
   今にも泣き出しそうな顔で、母が祖母を見つめている。
   十分ほどして、先生が現れ、看護士さんの手を止めた。


   先生は胸部マッサージを引き受けることもなく、祖母と心電計のモニターを確認している。
   モニターに映る波がゆっくりと静まっていき、深夜零時をまわった頃、白い波は、直線になった。


   冷たい器械音が部屋に鳴り響いた途端、母が泣き出した。
   祖母の手をとり、大粒の涙を流しながら、「おかあさん、おかあさん」と叫んでいる。
   父の目も、赤い。
   まるでテレビドラマのようだ。父と母、流れる白い線を見ながら、わたしは思った。
   そして、立ったままのわたしに気付いたとき、母が言った。
   「泣かないの? まったく、お前は冷たい子だね」と。



   兄が到着したのは、朝になってからだった。通夜も葬式も、すべてがなんとなく過ぎていった。
   大人たちが行ったりきたりする様子を、わたしはただぼんやりと眺めているだけだったが、
   一度だけ吐きそうになった。海外に行っているために、戻ってこられないという理由の元、
   葬儀で読まれた叔父からの弔電。それは父が叔父の名で出したものだった。


   日常は、すぐに戻ってきた。仕事にしわ寄せの行っていた母の残業が増えたのに比例して、
   沙紀ネエの家で夕食をお世話になる夜も増えていた。
   我がバスケ部は、6月3日の地区予選を突破。県大会はひと月後だった。

   わたしのベッドで漫画を読んでいた沙紀ネエが、「飲み物、持ってくるね」と階段を下りていく。
   椅子に座り、バスケマガジンを読んでいたわたしは、ふと机の上の琥珀のキーホルダーを手に取った。
   そういえば、結局、渡せなかった。
   「何、それ?」
   沙紀ネエが、オレンジジュースをコップに入れて持ってきた。
   「学校で長野市見学に行ったときに買ったやつ。おばあちゃんへのおみやげ。渡しそびれちゃって」
   「ふーん。そういえば、行ったなぁ。でもえらいね。
   わたしは家族にお土産なんて買ってこなかった気がするけど」
   「わたしもおばあちゃんにだけだよ」
   「だけ? おじさんやかおりさんには?」
   沙紀ネエが不思議そうに眉をしかめた。
   「お父さんはもともとおみやげに興味がないし。おかあさんはなあ。
   喜んではくれるんだけどさ。すぐにモノを無くすから」

   「低学年の頃にさぁ、おかあさんの誕生日にちっちゃな小物入れをプレゼントをしたわけよ。
   いかにも子供が買いそうな絵が描かれた、プラスチックの安っぽいの。
   おかあさん、飛び上がらんばかりに喜んでさ。わたし、抱きしめられちゃったりして」
   「うんうん。いいじゃん」
   「そしたら、次の日。廊下に転がってたんだよねぇ、その小物入れが。さびしそ~に」
   「ホントに?」
   「本当。憐れになっちゃって、すぐに拾ったけど、なんか悔しくて捨てちゃった。
   その小物入れに罪はないんだけど。捨てたことにも、結局気付いてなかったし」
   「うーん・・・」
   「あの人に悪気はないんだよ。それは分かってる。プレゼントをもらって、
   大喜びしたのはウソじゃないと思う。そのときは、嬉しかったんだよ」
   祖母への文句は絶えなかったけれど、病室でのあの涙も、きっと本物。

   「似たようなことが数回あってさ、もうやめたんだ。おかあさんへのプレゼント。
   もう少しわたしが大人になって、かわいそうなプレゼントを見てもへこたれないくらいになったら、また渡すよ」
   「まあ、かおりさんっぽいといえば、ぽいけどねぇ」
   「らしいでしょ」
   「でもさぁ、かおりさんも問題だけど、あんたもスゴイよね。 15でしょ? なんか悟っちゃってるし」

   そうは言っても、病院でのあのひと言は、バズーカ級だった。
   でも、「なんてヒドイことを言う母親なんだ!」と頭にきたわけではない。
   言葉が胸を深くえぐったのは、母の言うことは正しいかもしれないと思ったから。
   わたしは冷たい人間なのかもしれない、という不安がわたしを捉えたからだった。
   もう9時か。わたしは、おばあちゃんへのキーホルダーを、机の引き出しに入れた。



   7月7日。明日は県大会だ。
   普段は土曜も部活。だけど、今日は特別に休息日。
   そこで、久しぶりに丸1日休みの取れた母と一緒に、祖母の部屋を掃除することになった。
   変わらぬ匂いのする部屋で、箪笥の中身や棚を整理していく。
   昼、スーパーで何か買ってくるといって、母が出かけた。
   わたしはひとり、作業を続けた。時間を確かめようと、つい右上の柱を見る。
   ボンボン時計は動いていないのに。
   それから、部屋の一番奥にある箪笥に近づいた。
   それまで、この箪笥を触ったことは一度もなかった。
   棚の奥からは、桔梗や藤の描かれた扇子が出てきた。いつ使っていたのだろうか。
   ほかにもハンカチや古い日傘。おばあちゃん専用の急須などが、綺麗に整頓されて仕舞われていた。


   箪笥の上の飾り棚を開けたとき、驚きで呼吸ができなくなった。
   置かれたものたちにしばらく目を奪われてから、我に返ったわたしは外に飛び出した。
   そして、砂利道を挟んだ武道館裏にある、幼い頃、秘密基地にしていた茂みへと飛び込んだ。
   座り込むより早く、わたしは嗚咽していた。左手で口を押さえるけれど、止まらない。
   右手の袖で目から出てくるものをぬぐい続けた。

   小学校の修学旅行で買ってきた京都の小さなお地蔵さん。
   祖母をひとり残し、近所の家族たちと出かけた山梨で買ったガラス細工。
   近所の雑貨屋さんで見つけたピエロのお手玉、星の砂、亀の置物などなど。
   どれも手のひらに乗る小さな物ばかり。そして、一番奥には、あの画用紙が大切そうに置かれていた。

   すべて、わたしが祖母に贈ったものだった。


   あのとき、病室での心電計の直線は、わたしに祖母の死を伝えはしなかった。
   横たわる祖母が、ここひと月の祖母とどう違うのか。器械音と先生の死亡宣告の前と後の祖母の姿に、
   わたしは違いを見つけられなかったのだ。おばあちゃんは寝ているだけじゃないか。
   母と父の反応のほうが、まるで理解できなかった。

   おばあちゃんは、もういない。
   おばあちゃんは死んだ。
   わたしに祖母の死が訪れたのは、このときだった。



   朝、キッチンでおかあさんがお弁当を詰めている。
   「なになに、雨が降るんじゃないの? バスケは室内だからいいけどさぁ」
   覗きに行くと、中にミニトマトを発見。
   「うげっ、ミニトマトは外してよぉ」
   ほとんど使われていないエプロンをつけた母が振り返った。
   「あら、那実もミニトマト嫌いだった? おばあちゃんだけかと思ってた。
   まったく、お前はおばあちゃん似よねぇ、顔もそうだけど、好き嫌いも」
   母の口から出た言葉が、嬉しかった。
   「でも、足が速いのは、おかあさん似だよ」と、なぜか多少の気を使いながら言うと、
   「やだ、わたしはもっとずっと速かったわよ」と母は応えた。

   空気が澄んでいる。玄関を出て、大きく深呼吸した。早く行かないと、陽子が待ってるな。
   急ぎ足で歩きはじめたわたしに、後ろから母が追いかけてきた。
   少し走っただけなのに、もう息を切らしている。
   「ちょっと那実、あんた先週の美容院で前髪、切りすぎたんじゃないの? 眉毛が全部見えちゃってるじゃないの」
   呆れた。
   「試合前の娘に向かって、それを言うために、わざわざ走ってきたわけ?」
   母は母でわたしに呆れたという顔を見せ、
   「違うわよぉ、渡そうと思ってたものがあったのよ。昨日の掃除で見つけたの。
   あんた、陽子ちゃんと電話中だったから、ポケットに入れてたんだけど。そのまま忘れちゃって。ほら、これ」
   母が一枚の写真を手渡した。

   「おばあちゃんって写真、ほとんどなかったじゃない。
   お前とのツーショットって、たぶんこれだけよ。魔除けになるかと思って」
   「魔除け??」
   「おばあちゃんのほうが、わたしよりも勝負運強そうだし」
   「ねえ、魔除けじゃなくて、お守りなんじゃないの?」
   「細かいわねぇ、どっちでも構わないじゃないの。ほらほら、頑張ってきて」
   わたしを向きなおさせると、母は、ポンと軽く背中を押した。
   「はい、じゃ、行ってきます」


   そこには、蒼空と真っ白な北アルプスをバックに、祖母と3歳くらいのわたしが映っていた。
   身体を少し斜めにしながら、後ろの祖母に寄り添うへの字口のわたし。
   真っ赤な洋服と、赤と黒のチェックのズボンという恐ろしく派手な格好。
   祖母は、消炭色の着物に木綿の羽織。口はいつもの真一文字。ふたりとも、ニコリともしていない。

   身体の芯が熱い。母と祖母からのパワーを感じながら、わたしは写真をリュックのバスケマガジンにはさんだ。

               完

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